トーク126
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 前回の〈硬貨編〉では、今でいう「お金」という概念を具現化したものとして、まず「塩」や「貝」が使われ、やがて、それらがかさばり不便であるため、金や銀を用いた「硬貨」が誕生したというお話をしました。「紙幣」の誕生も同じように、お金が硬貨のみでは重くて持ち運ぶのに不便であったことから誕生したといわれています。 世界で初めての紙幣がつくられたのは中国。10世紀の宋の時代、「交子(こうし)」というお札がつくられました。紙幣をつくるには紙が必要であり、大量に発行するとなれば印刷技術も必要ですから、紙と印刷技術が中国で発明されたことから考えても、中国で世界初の紙幣が登場したのは自然なことといえるでしょう。ちなみに世界最大の紙幣をつくったのも中国で、その大きさは縦33.8cm、横22cmというビッグサイズ。明の時代の「大明通行宝鈔」というお札で今から約640年前のものです。 日本の紙幣としてもっとも古いとされているのは、17世紀初め、伊勢国山田地方の商人が代金のおつりの代わりに書いた「羽書(はがき)」とされ、これは「山田羽書」とも呼ばれています。その後、各地の藩が「藩札」を発行しました。これらは紙であっても単なる紙ではなく、藩が保証しているため、いつでも金属のお金と交換できる紙として価値があるというわけです。 やがて、日本において全国共通の紙幣がつくられたのは明治時代以降のこと。1872(明治5)年、政府が発行した紙幣「明治通宝札」はドイツで印刷された絵柄の上に「明治通宝」という赤い文字が印刷されたものでした。1873(明治6)年発行の国立銀行紙幣はアメリカの会社に印刷を依頼したもので、5円札の絵柄は、表が「田植えと稲刈り」、裏は「日本橋と富士山」。また日本で初めて洋式の印刷技術を使ってお札をつくったのは1877(明治10)年で、5円札の絵柄は「鍛冶屋」の様子というユニークなものでした。日本で工業が盛んになるようにという願いが込められていたのでしょうか。この紙幣は「鍛冶屋5円」とも呼ばれていたそうです。 ここで話は少し脱線しますが、松本清張のデビュー作『西郷札(さいごうさつ)』をご存じでしょうか。西郷札とは、1877年の西南戦争において西郷隆盛率いる薩摩軍が、軍費調達のために発行した軍票、紙幣のこと。松本清張の作品によって、その存在が広く知られるようになりました。 作品中には西郷札についてこのように書かれています。「長さは四寸ばかり、幅は二寸ぐらいだろう、仙花紙のような薄い質の紙を中に目の粗い寒冷紗が貼り合私たちにとって身近なお金。その歴史を楽しくたどりながら、お金と経済のつながりに思いを馳せてみませんか。前回お届けした〈硬貨編〉につづいて、今回は〈紙幣編〉。世界と日本、それぞれの紙幣の誕生から見てみましょう。世界初の紙幣がつくられたのは紙と印刷技術が発明された国、中国。日本における紙幣ヒストリー。その始まりは17世紀。14お金の歴史〈紙幣編〉「昔」に学んで、「今」をゆたかに。今昔けいざい物語

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