トーク125
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G…御社の成り立ち、これまでの歩みについてお聞かせください。 当社は、私の祖父が穂積駅北で経営していた有限会社宝鋳造の営業が独立するかたちで昭和47年4月に創業したのが始まりです。当時、営業は鋳物の溝蓋のみを取扱いしており、父がその業務を独立させて、建築・衛生資材も販売する総合商社としてスタートし、昭和49年9月には法人化しました。 その後、試行錯誤しながらも、事業を展開してきましたが、商社形態では利益の先細りが懸念されたため、自社で製造をすることを決意し、昭和57年頃から「グレーチング」の製造販売を本格化させました。G…今、お話にあった「グレーチング」とはどのようなものですか。 道路の排水路でよく見かける鋼材を格子状に組んだ溝蓋のことです。設立当初から溝蓋の取扱いをしていましたから、やはり、「グレーチング」は当社から切り離せないものであり、商社から製造販売に軸足を移行して、業績は安定的に推移していました。 しかしながら、私が当社に入社した2年後の平成9年をピークに景気後退の影響を受けて、年々公共事業が減少し、「グレーチング」市場もそれに比例するように減少していきました。加えて、中国をはじめとした海外製の安価な「グレーチング」が増加し、価格競争が厳しくなっていきました。G…そういった状況を打開するために何か手を打たれたのですか。 まず、最初に頭に浮かんだのは、利益を上げるために「コストを抑えることができないか」ということでした。しかしながら、原材料価格はある程度一定であり、どのように調整しても、利益を確保するのは非常に困難でした。ですから、逆転の発想ではないですが、コストを抑えるといった体力勝負の価格競争よりも、付加価値の高い「グレーチング」を製造販売するという考えに至りました。それからは、他社に比べて安全で機能的にも優れた製品を開発するのに心血を注ぎました。G…入社して間もないのに大変ではありませんでしたか。 当時を振り返ると確かに大変でしたが、平成10年には当社の代表者となり、新しい取組みに挑戦し、乗り越えていく楽しみ、喜びがありました。まず、着手したのは、市場のニーズを深く掘り下げるためのマーケティング調査でした。「たとえ、市場が縮小傾向にあっても、お客さまが求めるものを的確に把握し提供することができれば、一定以上のシェアは確保できる」という強い気持ちを持って徹底的にいろいろなことを調べました。G…調査をして分かったことはありましたか。 調査の結果、取組むべき課題がはっきりとしてきました。それは「グレーチング」の軽量化でした。軽量化できれば、製造工程において社員の負担も軽減されますし、鋼材使用量、消費電力および運搬コストが削減できます。また、高齢者でも簡単に取り外しができるようになるため、溝掃除などもしやすくなり、ますます進む高齢化社会に対応し、環境保全にもつながります。早速、それに向けた開発が始まりました。 開発過程で苦労したことは、「グレーチング」を構成する主要部材の強度を高めながら、いかに軽量化するかということでした。しかしながら、なかなかアイデアが浮かばず、どのような鋼材がいいものかと思案に暮業界を先駆けて誕生した「LSハイテングレーチング」「グレー チング」とは■浅野社長と対談する当金庫 営業企画部 奥村順一部長(左) 穂積支店 大橋正季支店長(右)7SPECIAL TALK 株式会社 宝機材

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