トーク125
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 さて、塩や貝が今でいうお金の機能を持っていたことは容易に想像がつきますが、ものの交換が盛んになってくると、交換の仲立ちをするものも大量に必要となり、かさばって不便ということに。そこで使われるようになったのが金・銀・銅です。少量でも価値のあるものであれば、持ち運びしやすいというわけです。さらに金や銀、銅が使われるようになった理由として考えられるのは、いろいろな大きさや形状に加工しやすく小さな単位もつくれる点、材質が変化しづらい点。丈夫で長持ち、水にぬれても問題ありません。 では世界で初めてお金がつくられたのはいつか?といいますと、残念ながら正確なことはわかりません。しかしメソポタミア文明の記録に、銀が支払いに用いられたことが記され、古代エジプトの壁画に金を量る天秤の絵が見つかっていることから、いにしえより金や銀は価値のあるものとして使われていたことが推測できます。それがお金として明解にわかるカタチ、硬貨としてもっとも古いとされるのは、紀元前670年頃にリディア(現在のトルコ)でつくられたエレクトロン貨(エレクトラム硬貨)という説が有力です。これは金と銀の合金による硬貨で、リディア王の印が押されていました。また、紀元前500年頃の中国でも青銅で硬貨がつくられました。それはかつて中国でお金として使われていたタカラガイという貝に似せてつくられていたそうです。お金を表す漢字に「貝」がついていることと同様に、中国では貝がお金の原型として流通していた一つの証ともいえそうです。 次に我が国日本のお金の歴史を見てみましょう。 日本で最初の硬貨は7世紀後半につくられた「富本銭(ふほんせん)」とされています。そして日本で最初の公的な鋳造貨幣としてつくられたのは和銅元(708)年、「和同開珎(わどうかいちん、わどうかいほう)」です。和同開珎が日本最初の硬貨であると教科書で習った人も多いと思いますが、平成10(1998)年に奈良県の飛鳥池遺跡から、大量の富本銭が見つかりました。ただし富本銭はおまじないなど宗教的な役割をするための「まじない銭」だったという説があります。いずれにしても日本で硬貨が誕生したのは約1300年前。長良川の鵜飼や美濃和紙の歴史の始まりと同じ頃といえそうです。 さてこのあと250年ほどの間に12種類の銅銭(皇朝十二銭と呼ばれるもの)が鋳造されました。しかしあまり世の中に広まらず、10世紀末には遂に製造されなくなり、以降、日本ではなんと600年もの間、正式なお金がつくられませんでした。ではその間、お金はどうしていたのかといいますと、平安時代後期には中国銭が日本に流入し、国内で使われるようになりました。 自国製造の硬貨がない状況に、ようやく変化の風を吹き込んだのは戦国時代の大名たちといえましょう。彼らは軍資金を確保するために、熱心に金山・銀山の開発と独自の貨幣鋳造に取り組むようになりました。そして、天下統一を果たした豊臣秀吉が、全国の鉱山を支配して、金や銀で大判をつくりはじめました。これが「天正大判」です。とはいえ、これらは一般の人々に流通したわけではなく、主に家来に与えるものでした。 やがて江戸時代になり、貨幣制度は金貨・銀貨・銭貨(銅)からなる「三貨制度」となっていくのです。金貨をつくる機関は「金座」、銀貨をつくる機関が「銀座」と呼ばれ、現在の東京にある銀座の名はこれが由来とされています。江戸時代のお金の仕組みはかなり複雑だったようで、複雑であるために発達したのが両替商で、今の銀行のような役割を担いました。ヒットしたNHKの朝の連続テレビ小説「あさが来た」では、両替商が明治期に銀行へと移行していくあたりも描かれていましたが、経済活動が活発になっていくなかで、現代に通じる仕組みが誕生していった様子を垣間見ることができました。 このように日本のお金の歴史についておおまかに見てきましたが、それでは私たちが日頃慣れ親しんでいる「円」という単位のお金がつくられたのはいつでしょうか。その答えは明治4(1871)年。新貨条例により「両」にかわって「円」が採用されました。江戸時代に複雑になってしまったお金の仕組みを簡単にするために10進法で「円・銭・厘」というお金の単位が決められ、新硬貨の鋳造が始まりました。新貨条例では1円は1両と等価。ちなみに当時、1円=1米ドルであったことから、円が誕生したころは、1円=1両=1ドルだったということになります。時代を経て、少しずつ現代につながる貨幣制度へ。日本で最初の硬貨は富本銭?それとも和同開珎?15今昔けいざい物語

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