トーク122
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きっかけは「ある新聞記事」からG…まず、御社の成り立ちについてお聞かせください。 福田会長…創立は平成8年9月1日で、当初は「医・師・給食」という社名で事業を開始しました。しかしながら、しばらくすると「この会社は、医師会が経営しているのか」と誤解される方がいましたので、翌年3月21日に現在の社名である「医・療・給食」に改めました。 創業当時は主に診療所・クリニックに入院されている患者様向けの給食をつくっていました。いろいろな苦労がありましたが、何とか軌道に乗ってきた頃、「食事療法という分野に力を入れ、地域の皆さまの健康づくりに貢献したい」という気持ちが強くなり、「治療食の宅配」を始めました。始めた当初はこうした事業を展開している企業も少なく、物珍しさか、マスコミにも注目されるようになりました。 平成11年の頃です。中日新聞、東海テレビ、NHKテレビに相次いで当社の「治療食の宅配」が取り上げられました。実はこのことが私と仁木社長を結びつける大きな転機となったのです。G…「福田会長、仁木社長を結びつける大きな転機になった」とは一体どういうことですか。もう少し詳しく教えてください。 福田会長…これこそ、不思議な縁というべきことでしょう。たまたま、当時学生であった仁木社長が平成11年3月に中日新聞に掲載された当社の記事「“治療食”365日宅配します」を目にしたのです。  仁木社長…当時、私は大学4年生になろうとしており、就職活動が始まり、情報収集に忙しい頃でした。大学では栄養学を勉強していましたので、「管理栄養士として、在宅介護ができる仕事がしたい」という強い想いがありました。大学の先生からは安定性のある大手企業を紹介されたりもしましたが、仕事内容を調べていくと、自分のやりたいことではなく、しっくりきませんでした。どうしようかと悩み始めた時にこの新聞記事に出会ったのです。直観的に「これだ」とピーンとくるものがありました。早速、電話し、「面接してもらえませんか」と頼んだのです。 福田会長…仁木社長から電話があり、「面接してほしい」と言われたときは嬉しい半面「うちのような会社でいいのかな」と複雑な気持ちでした。この頃、当社には大卒の社員がほとんどいませんでしたから、正直育てる自信がなかったからです。でも、面接をして将来の夢を聞いた時、熱い想いがじんじんと伝わってきました。すぐに「この人は他の人と一味違う」、「この人なら何かやってくれそうだ」と思いました。面接前の迷いも消え、即「採用」としました。その時に私にくれた資料、手紙は今でも大事に保管してあります。 仁木社長…当時のことを言われると少々照れくさいですが、私も自分の夢をかなえたい一心でしたね。福田会長に思いの丈をすべてぶつけました。その結果、めでたく「採用」となり、「少し長引くかな」と覚悟していた就職活動がゴールデンウィークまでに終了してしまいました。「食」で皆さまの健康と地域社会に貢献する。■高齢者賃貸住宅 オアシス黒川3

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