トーク121
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転機は自動機の製造に携わったことG…まず、鈴木社長のこれまでの歩みをお伺いしてもよろしいでしょうか。  私は、大学を卒業後、すぐに当社に入社しました。その当時、当社にはアメリカでの研修制度がありましたので、語学勉強も兼ねて、入社後すぐにその研修制度に参加しました。当初は半年間の予定でしたが、結果的には、2年間の研修となってしまいました。 その後、本社に戻り、3年程、製品開発の業務をしました。転機になったのは、その時にプロジェクトとして、ある自動機の製造に携わったことです。私は、工業系の大学で設計のことを勉強していましたので、常々、「自動設計の仕事がしたい」と思っていました。ですから、この自動機の製造については、設計から製造まで全て自分で調べ、進めていきました。 しかしながら、いくら大学で勉強したからと言っても、進めていくうちに、やり方が分からなくなることが多々ありました。「本当に完成するのだろうか」と不安で一杯だったことを今でも思い出します。毎晩、夜中の12時ごろまで根を詰め、業務にあたっていましたが、完成は、当初の予定である3ヵ月を大きく超え、なんと1年もかかってしまいました。G…それは、大変な経験でしたね。 はい。本当に大変でしたね。ただ、周りは、「なんか一生懸命やっているな」と思ったのでしょうか。自然に力を貸してくれました。また、その当時社長であった父(現会長)もこのことに関しては一切文句を言わず、暖かく見守ってくれました。先ほど、この経験が転機になったと言いましたが、全て自分で調べてやり遂げたことで、原価計算の仕組みがよく分かり、コスト意識が芽生えました。そして、開発の苦労が体験できたことで、従業員の気持ちも理解できました。この経験は、現在の会社経営に大いに役立っていますね。G…今、会社経営のお話が少し出ましたが、社長に就任されたのは、いつですか。 その後、部長、常務を経て、2009年に社長に就任しました。今から5年前のことです。父からは、2004年頃に「60歳で一線を退くつもりだから、その頃には社長になれるよう頑張ってほしい」と言われました。他にも社長になれそうな方がいたので正直驚きましたが、事前に社長就任の準備をするよう言われたことで、気持ちの整理が十分できましたし、一方で父は、私が社長になっても困らないような組織づくりを進めていましたので、うまくバトンタッチができたと思います。G…うまく事業承継ができたのですね。もう少しお聞きしたいのですが、お取引先との関係には何か変化がありましたか。 どちらかと言うと、若くして社長に就任したケースだと思いますので、私もうまく関係が保てるかが心配でした。就任直後は、お取引先に挨拶にいくと「あれ、社長?」と言われることもありました。ただ、お取引先のほとんどは昔からお付き合いがあり、何度も顔を出しているうちに私のことは認知されるようになりました。ですから、関係がこじれたといったことは、特にありませんでした。未来をみつめ、考え、創造し、お客さまの要望を「かたち」にする。3

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