トーク119
8/24

夢は「船乗り」だったが、紆余曲折を経て「救急医療」の道にG…小倉先生が医師を志したきっかけと医師としての歩みについてお話ください。小倉先生(以下、先生と表記)…私は、香川県生まれです。ご存じの通り、香川県は瀬戸内海に面しており、小さい頃から海が大好きでした。こうした海に対する想いは成長とともに大きくなっていきました。中学、高校の頃になると、「船乗りになって、海で仕事をしたい」と真剣に考えるようになりました。そのため、大学は商船大学を希望していましたが、受験資格の中で一定以上の視力が求められ、視力が良くない私は商船大学への入学を泣く泣く断念せざるを得ませんでした。しかしながら、その当時は、自分の夢を簡単にあきらめることができず、悩みに悩んだ末、「船医になれば船に乗れるのではないか」と思い、岐阜大学医学部に進学しました。医学部入学後は救急医療の道を志し、勉学に励みました。何故、この道に進んだのかと疑問に思うかもしれませんが、理由としては、船に乗ると何日も港を離れて航行しなければならず、船医になる上で、救急医療の知識、技術こそが最も必要であると考えたからです。現在は、船医ではなく、岐阜大学で救急医療に携わっているのですが、今でも、仕事がオフになると、船で海に出て、気分転換を図っています。 大学時代は、ラクビーにも力を入れました。岐阜大学の医学部ラクビー部を立ち上げ、日々練習、試合に明け暮れました。こうした生活を送っているうちに、反骨精神が強くなり、「誰もが手をつけようとしない救急医療の分野を何とかしたい」という気持ちが日に日に強くなっていきました。当初は、船医になるために、この分野に進んだのですが、自分の手で救急医療そのものを変えたいと思うようになったのです。大学卒業後は、救急医学講座があった香川医科大学(現、香川大学医学部)附属病院救急部助教授となり、香川医科大学救命救急医療セン岐阜大学大学院 教授救急・災害医学分野 高次救命治療センター長日本救急医学会理事医学博士 小倉 真治 氏聞く有識者に 平成16年に岐阜大学キャンパス内に岐阜大学医学部附属病院が新設、移転され、そのスタートと歩調を合わせるように日本最大規模の「高次救命治療センター」が開設されました。 国立大学附属病院としては大阪大学、山口大学、香川大学に次ぐ4番目の救命治療センターであり、現在は、岐阜県内のどこで発生した救急患者でも本邦最高水準の救急集中治療が受けられる体制が整備されています。 救命治療センターの設立は、県民の安全で安心な暮らしを守るため、待ち望まれたものであり、こうした期待を一身に集めて初代センター長に就任したのが、現在、岐阜大学大学院教授であり、医学博士の小倉真治先生です。 今回は、救急医療のみならず、日常の医療や健康、介護分野に至るまでを包括的に支援する取り組みに日々奮闘しておられる小倉先生にこれまでの医師としての歩みや日本の医療の質を向上させる活動についてお話を伺いました。G…聞き手/営業企画部長 山口 貴生医学博士 小倉 真治氏6

元のページ 

10秒後に元のページに移動します

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer9以上が必要です