トーク118
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幾多のピンチをチャンスにG…御社のこれまでの歩みについてお話しください。高井社長(以下、社長と表記)…当社は、昭和15年に日置商店として創業し、油紙の卸売を行っていましたが、株式会社 ハイビックス代表取締役 高井 順子 氏昭和26年にビニール製品の加工販売を本格的に開始し、昭和29年には、日置ビニール工業株式会社として法人組織に移行しました。 当初は、主に雨ガッパを製造していました。その後、『もっと付加価値の高いものができないか』と模索し、ビニールに空気を入れて動物をかたどった子供用玩具を生産するようになりました。また、ちょうどその頃、ある有名玩具メーカーから委託を受け、あのダッコちゃん人形をつくっていたこともあります。加えて、簡易プール、ボート、浮き輪などのウオーターレジャー用品を手がけるようになり、海外への輸出にも力が入りました。 しかしながら、為替や天候、季節によって毎月の売上が大きく変動するなど、常に経営上の不安を抱えていました。「今、会社が大変だからすぐに戻ってこい。」と先代の社長である父から連絡があり、急いで旅先から帰ってきたこともありました。 こうした状況に追い打ちをかけるように昭和51年には、台風の接近に伴う集中豪雨で河川が決壊、材料、製品が全て水浸しとなり、当社は壊滅的な打撃を受けました。当時、高校生だった私は『これからどうなるのだろう』と不安な気持ちで一杯でした。 父はなんとか会社を存続させようと、『身を捨ててでも会社を残す』覚悟で付き合いのあった複数の金融機関へ何度も足を運びました。その結果、『会社を潰す訳にはいかない』と必死の行動が天に通じたのか、御庫から当面の資金を調達することができ、最大のピンチは乗り切ることができました。 しかしながら、為替相場が円高に傾いていくなか、当社の苦境は続きます。簡易プール、浮き輪などの業界もコストダウンを追い求め、生産拠点を台湾・中国へ移行していきました。当社も時代の流れに乗り、海外生産を検討しましたが、『我が社は国内に残り、技術力で勝負をしていく』という結論に至りました。 こうして、『国内で生き残るために、付加価値の高い製品をつくろう』と試行錯誤していましたが、この頃、転ルルルポ企業 岐阜県瑞穂市に本社を置く株式会社ハイビックスは、ビニール製品の加工販売からスタートし、現在は、床ずれ防止マット、介護用簡易浴槽に代表される『介護・健康用品』を主軸とし、幼児用プール、スポーツ用品なども製造している企業である。 取扱商品に共通するのは、全てが『空気で膨らむ』製品であること。つまり、空気を入れることによって形が生まれ、それぞれの役割を持ち、介護、医療、レジャーなどの様々なシーンを支えている。 したがって、穴が開いたり、合わせ目がはがれたりすることは、決して許されない。空気が抜けてしまっては、製品としての意味をなさないからである。 こうしたことから、製品ごとに最適な素材を厳選し、その素材と素材を密着させる技術こそがこの企業の命であり、日々の研究開発に余念がない。 空気をカタチにして、無から有を生み出してきた経験と技術力は、オンリーワン企業としての地位をゆるぎないものとし、取引先からの信頼も厚い。今回は、同社のこれまでの歩みや経営の秘訣について高井社長にお話を伺った。G…聞き手/営業企画部長 山口 貴生株式会社 ハイビックス6…御社のこれまでの歩みについて社長と表記)当社は、昭和15年に日置商店として創業し、油紙の卸売を行っていましたが、株式会社 ハイビックス株式会社 ハイビックス株式会社 ハイビックスG…御社のこれまでの歩みについてお話しください。高井社長(以下、…当社は、昭和15年に日置商店として創業し、油紙の卸売を行っていましたが、

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