トーク117
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みに溶け込んだ風格ある顔となり、今では人気の撮影スポットです。これが幸いにも岐阜市都市景観賞を受賞させていただくこととなりました。 また、住民有志による「川原町まちづくり会」の幅広い活動や、行政による電柱の撤去や再舗装工事などにより、町の魅力が一気にアップしました。眠った地域資源を掘り起こし、多くの方に親しんでいただけるようになるには住民、企業、行政、それぞれの力が必要だと考えております。 当館では、この町のおかげで生きていることに感謝し、川原町ツアーを毎日夕方5:00から行っています。参加者が多いときは50名様を超え、たとえ1名様でも行っています。これは十八楼独自の企画であり、お客さまに楽しんでいただく仕掛け作りです。お客さまは旅館だけがすばらしくても満足されません。町全体で楽しみを満喫していただく旅を提供する必要があります。G…120年前の土ど蔵ぞうをレストランに利用されたとお聞きしましたが。若女将…3年前縁あって購入した隣地に明治時代に建築された古い蔵が並んで2棟ありました。一つは木材置き場、そしてもう一つは貴重品倉庫でした。 この土地と建物をどのように有効利用すべきか苦悩しましたが、最終的には古き良き建築物を後世に残そうという思いから蔵の存続を決意し、木材置き場はレストランとして、貴重品倉庫はお風呂として利用することにしました。しかし、レストランとして営業するには立地から変更しなければなりません。その為に資材置き場として使われていた蔵を解体せず曳ひいて移動させる伝統工法「曳ひきや家」により、蔵ごと表通りに運びました。 次は日本古来の「土壁」の再現です。まず竹を縦横に組企業ルポもらったそうです。 「父がいつ岐阜にいたのか、どんな世話になったのか日本へ戻ったら尋ねよう」そう心に決め戦地から帰国されましたが、その方の父親は既に他界されており、願いが叶わぬまま戦後60年以上過ぎました。そして、生きている間に亡き父と自分をつなぐ宿を知りたいと望み、遠方より十八楼へ来館されたそうです。 その方のお名前は「十じゅうはち八」さん。十八楼の名からついたお名前です。今となってはその方の父親と当主の関わりを知るすべはありませんが、先人のお・・・・・・・もてなしの心が十八楼の伝統を守っていると思わずにはいられません。感動を与える改革G…「事実は小説よりも奇なり」といいますが、十八さんのお話は感慨深いものがあります。 十八楼さんはこの町の景観を守ることに大変なご努力をしておられますが具体的に教えてください。若女将…綿密なマーケティングと明確なコンセプト作りが旅館経営には不可欠と考え、ここだけにしかない宿の仕掛け作りに力を注いでいます。経験の浅い私ですが、幸いにも仕掛けのヒントは足元にありました。岐阜の伝統と文化を集約した当館周辺の川原町は、江戸時代より水運により栄え、今でも美しい日本の歴史的風土を残しています。 そのことに気付いてからは、お客さまに町全体を楽しんでいただく工夫を模索し、当館も美しい町に合った宿となるよう努めています。ただ、十八楼は大規模旅館として耐火建築が必須条件です。そのため鉄筋コンクリートの無機質な建物でしたが、思い切って通りに面した低層部分に、格子戸のお面を施しました。当時、近代的な建物を昔風に改装することは異例でありましたが、町並■本社所在地:岐阜県岐阜市湊町10番地■事業内容:旅館業■創 業:万延元年(江戸時代 1860年)■客室総数:111室■収容人員:534名■従業員数:300名(パート・アルバイト含む)■昔風に改装した十八楼玄関■曳家の様子会社概要4

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